10月11日(金)みらいあん健康福祉部会が株式会社ナースのおむすび事務所で開かれました。みらいあん会員の中には、障がい者福祉や高齢者福祉にたずさわる方も多く在籍しており、部会は情報交換と研鑽の場となっています。
本日の部会では、大橋地区で女性専門フィットネススタジオを経営する坂本ちづる氏にお越しいただき、発達障がい児の子育てを通じて得た経験や、将来の展望について語っていただきました。
【5リッチフィットネススタジオ 代表:坂本ちづる】
〜子どもたちの未来のために…〜
10月20日(日)11:00から、5リッチスタジオにて「親なきあとに続く愛を…」というテーマでイベントを開催します。このイベントは、障がい者の親がいだく「私が亡くなった後、この子は自立できるのだろうか」という不安を解消するきっかけとなる場として企画いたしました。
単に子どもたちが楽しめる場にとどまらず、セミナー形式で学びの機会も設けています。今回は「大切な子どもに経済的な安心をどう届けるか」をテーマに、財産の託し方や相談先について解説いただく予定となっています。また、会場内にはプチマルシェやリラクゼーションブースを設置し、育児疲れのリフレッシュや同じ悩みを持つ仲間との素敵な出逢いをサポートいたします。
〜創業を決めた「2つの想い」〜
2010年にフィットネススタジオ「5リッチ」をオープンしました。このスタジオでは、個々のお客様に合わせたカウンセリングをもとに、最適なトレーニングを提供しています。私がこのスタジオを立ち上げた背景には、2つの強い想いがありました。
まず1つ目は、「高齢者の健康寿命を延ばしたい」という想いです。日本では平均寿命と健康寿命に約10年の差があり、多くの高齢者は最後の10年間を健康でない状態で過ごしています。自分の足で自由に出かけ、食事を楽しむことは、人生の豊かさに欠かせません。これを支えるため、5リッチでは運動を通じて高齢者の健康維持をサポートしています。
2つ目は「娘の居場所をつくりたい」という想いです。私の長女は発達障害、自閉スペクトラム症(ASD)の積極奇異型と診断されました。彼女は人との関わりを求めますが、コミュニケーションが一方的になることがあり、相手に負担をかけてしまうこともあります。彼女が将来、自分の力で生きていけるように「居場所をつくりたい」と強く思うようになったのです。
〜発達障害の子を持つということ…〜
私たち夫婦にとってはじめての子どもであった長女は、障がいをもって生まれてきました。しかし、ASDの診断を受けたのは、娘がかなり成長してからのことでした。振り返ってみれば、障がいに気づく兆候は彼女が幼い頃からあったのかもしれません。しかし、はじめての子育てで些細なサインには気づけませんでした。
長女は絶対音感を持って生まれ、一度聞いたメロディは譜面を見ずとも再現することができました。しかし、その耳の良さはときに災いすることもあったのです。友だちの声のトーンが不快だと感じたときは「黙れ!しゃべるな」と唐突に強い言葉を浴びせるのです。私が「だめだよ」と言い聞かせても彼女に伝わることはありません。それはどんなに静寂が保たれた場所であっても、相手がどんなに偉い人であっても関係はありません。自分が不快と感じたのであれば、相手に辞めさせればいい…彼女にとっては自然な行動なのです。そのため、学生時代から対人関係では多くのトラブルを抱え、何度頭を下げ謝罪したか数えきれないほどです。
彼女が思春期を迎えると、私に対しての態度も更に厳しくなっていきました。私自身も娘の障がいについて相談できる場所もなく、信頼できるドクターとも出会っていない時期でしたので、日に日に心が疲弊していき思考は硬直していきました。テレビのニュースで事件の犯人が「障がい者」であったという報道を耳にするたびに「私は犯罪者を育てているんじゃないか…」という気持ちに襲われ、娘は将来誰かに危害を加えるかもしれない…そんな気持ちが次第に大きくなっていくんです。そんなときに、いつもにも増して長女が私に強く当たってきた日がありました。瞬間的に「この子を連れて死ぬしかない」と長女を連れて那珂川市にある南畑ダムまで車を走らせます。心中をしようと思ったことは1度や2度ではありません…。それほどまでに、当時の私は心をひどく病んでいたのです。
〜信頼できるドクターとの出会い〜
どんな局面でも救いはあるものです。信頼できる医師との出会いが、私たち親子に一筋の光をもたらしてくれました。先生は、障がいを薬で解決するのではなく、食事や娘との接し方を改善することで、娘の状態を良くしようという考えを持っていました。「お母さん、料理を少し頑張ってみましょう」「娘さんと一緒に料理を作ってみるのも良いかもしれません」などと、私たちに寄り添った療育を提案してくれました。もちろん、医学的なアドバイスもいただきましたが、それだけでなく先生は親身になって私の話に耳を傾け、ときにはユーモアを交えた助言をしてくれる、気さくで温かい方でした。そんな先生との出会いが私にとっては大きな救いでした。
〜相互理解が解決の鍵〜
子どもに何かを伝えるとき障がいの有無にかかわらず、一度で100%伝わることは難しいものです。私の娘の場合も、何度も伝えてようやく伝わったかな…と思えることがほとんどでした。しかし、一度できたことが次も同じようにできるとは限りません。例えば「自宅を出るときには鍵を締める」ということも何度か伝えてできるようになったとしても、次の外出時には鍵を締め忘れることもあります。このように、一度できたからといってずっとできるわけではないのです。
これが仕事の場合、周囲は「一度できたのだから次もできるだろう」と期待します。しかしできなかったときには「やる気がないのか」「仕事を甘く見ているのか」と本人が責められるわけです。しかし本人は常に一生懸命に取り組んでいますし、やる気がないわけではないため「なんでそこまで言われないといけないのか」と腹を立てたり心を病んだりすることにつながっていくのです。
つまり、対人関係で問題を抱えやすい発達障害などを持つ場合、障がいについて理解のある人が多くないため、障がい者本人が二次障害(うつ病やパニック障害)に発展することも多くあります。これらは、障がいを持つ本人や周囲の誰かが悪いということではなく、互いの理解不足が原因にあると考えています。
〜「教育」ではなく「共育」へ〜
「障がいのない人は障がい者のことを知り、障がい者は障がいのない人のことを知る」。このシンプルなことが、まだ社会では十分に実現されていません。「親なきあとに続く愛を」のイベントでは、双方が互いを「知り」「学ぶ」場にしたいと考えています。
将来的には、障がい者が障がいを持たない人を知るための取り組みとして、子どもたちに演劇を通じてその役を演じてもらうことを企画しています。別の誰かを演じる経験は、子どもたちの成長にとって大きくプラスになると考えています。また、私のように娘の障がいについて相談できずに精神的に追い込まれる親を生まないために、仲間づくりにも力を入れていきたいと思っています。
障がいのない人は障がいについて知識を深め、障がい者は演じることを通じて健常者を理解する。障がいに甘えることなく、また過剰に擁護するのでもなく、「共育」(共に育つこと)ができる場を目指し、今後も活動を続けていきます。
【第一回】親なきあとに続く愛を
【開場】